安田財閥

初代・安田善次郎


■初代創業者は、美談の奥側に多くの試練を受けたらこそ、後続が成功できた・・。

安田財閥は、富山出身の銀行家・安田善次郎によって創設された財閥である。初代・安田善次郎(1838〜1921)、実際は五代目だが、財閥関連書籍では、初代とする)は、富山藩の下級武士として生まれた。安田家は半農半士の家柄で、善次郎は、武士身分での栄達が困難と悟り、江戸で商人となる事を志す。1858年、善次郎は反対する父を説得し、江戸で丁稚奉行を始める。玩具店、両替商に奉公した後、一八六四年には両替商兼鰹節・海苔小売店「安田屋」として独立し、のちに「安田商店」を名乗った。善次郎は両替商としての鑑定眼にすぐれ、古銀行の取引で利益を上げ、明治維新後は政府が発行した太政官札(明治政府発行最初の紙幣)の取引で、一財閥を成したといわれている。
明治政府は、米国に倣って、銀行設立するための法令、国立銀行条例を1872年に制定した(国立銀行とは、国法に基づく銀行という意味)。善次郎は大蔵省から銀行の開設を勧められ、一八七六年に第三国立銀行(のちの第三銀行)を設立した。また、国立銀行条例が改正され、銀行類似会社が「銀行」という名称を使用する事が可能になると、1880年に安田商店を私立銀行の安田銀行に改組した。
 1885年頃、安田銀行と第三国立銀行は、三井銀行、第一国立銀行(のちの第一銀行)に次ぐ大銀行
に発展し、その十年後には第一国立銀行を上回るまでに至った。善次郎は、二つの銀行を柱に、経営不振
に陥った地方銀行を救済して系列化した。
 保険業にも進出し、1880年に生命保険会社の共済五百名社(安田火災海上保険を経て、損保ジャパ
ン)に資本参加し、1890年代には筆頭株主になった。

 善次郎は「自分は事業が好きであるが、性格が臆病で比興であるから、敢えて銀行家となった」と述べ、金
融業に専念した。非金融事業分野(製釘、綿糸紡績等)として、一八九九年には安田商事を設立したが、
前述の理由から、大きく発展しなかった。むしろ同郷の事業家・浅野総一郎を高く評価し、その傘下企業に
対して積極的に投資する道をとった。